陶器郷・西高野街道コース

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西にしこうかいどう

堺の榎元町で大和へ通じる竹内街道と分かれ、河内長野、紀見峠を経て和歌山県へ。平安時代後期に、貴族を中心に盛んになった高野山詣での道として整備され、その後、高野聖や庶民の主要な参詣道になりました。堺が重要な港町として発展する中世以降は、物資輸送の幹線としても多いに賑わったといいます。今も街道沿いに石の道標や道祖神が残っており、旅人が往来した昔の雰囲気を伝えています。

西高野街道
西高野街道

たかくら

705年に行基が開基。49の子院を持つ大きな寺として栄え、空海(弘法大師)もこの地を訪れたと伝えられています。その後も、高倉天皇から「大修恵山高倉寺」という山号寺号を下されるなど隆盛を極めましたが、戦乱ですべてを焼失。慶長末年、このあたりの城主であった小出大隅守が復興につとめました。ちなみに、高倉寺は行基が家原寺の次に建てた寺で、境内に残る古い石塔は彼の供養塔だと伝えられています。

高倉寺
高倉寺

すえあらじんじゃ

崇神天皇の頃の創建と伝え、5世紀頃にはこの地で須恵器(陶器)の生産が盛んになり、「荒田直」という人が祖神を祀ったため、地名の“陶(古くは「陶邑」と呼ばれていました)”と人名の“荒田”から「陶荒田」と称されたといわれています。以来、陶器郷の氏神として、また陶器の生産に携わる業者の守り神として厚い信仰を集めています。

桜の陶荒田神社境内
桜の陶荒田神社境内

陶の里広場・午池
陶の里広場・午池
阿弥陀池
阿弥陀池

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